Fri, 24 November 2017
エデンの園に置かれたアダムとエバは、どんな木からでも取って食べることができました。ただ一つ禁止されたのは、善悪の知識の木から取って食べること。そのため「初めからそんなものなければ、アダムとエバが罪を犯すこともなかっただろうに」と考える方も多いです。さてこの善悪の木、何のためにあったのでしょうか? スピーカー:中川健一 ============ 「すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです(第1コリント15:22)」 ■神の主権と人間の自由意志の関係について ■#8 原罪って、なに? ■レシピ17 「自由」の法則 ■人生の謎を解く(2)―人はなぜ苦難に会うのか― ■ローマ人への手紙 21ー義認の真理の適用ー |
Fri, 17 November 2017
「あなたがむちで彼を打つなら、彼のいのちをよみから救うことができる」(箴言23:14)という具合に、聖書は、子供への懲らしめを奨励しています。今、さすがにむちで打つ親はいないと思いますが、子どもを矯正し正しく導くことは不可欠です。「叱らない子育て」などのキーワードが流行するこの時代に、聖書的懲らしめについて考えてみます。 スピーカー:中川健一 ============ 「父親たち、子供を怒らせてはなりません。主がしつけ諭されるように、育てなさい」(エペソ6:4) |
Fri, 10 November 2017
洗礼の形式には①頭に水滴を落とす「滴礼」②手や容器を用いて頭に水を注ぐ「灌水礼」③全身を水に浸す「浸礼」の3つがあります。今回の質問者様は、引っ越した先の教会で「滴礼は聖書的でないので、もう一度浸礼を受けるように」と言われているそうです。洗礼は救いの条件ではないとはいえ、これはかなり気になりますね!洗礼の持つ本来の意味と歴史上の記録から、聖書が命じている洗礼の形式を確認してみます。 スピーカー:中川健一 ============ 「それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです」(ローマ6:3〜4)
#23 洗礼とは何ですか?洗礼を受けないと救われないの? |